松岡修造の父って何者?松岡功(いさお)氏について調べてみた

タイトル下



松岡修造は、父功氏と元元宝塚歌劇団星組男役のスター静の間に次男として生まれる。 家族構成は、父功、母静、姉敏子、長男宏泰、修造の5人家族である。



松岡功(いさお)プロフィール

1934年12月18日(83歳)

兵庫県芦屋市出身。

甲南大学卒業

大学在籍中にテニスの日本代表デビス杯に選出される。

1957年 – 東宝入社 1960年 – 東宝外国部アメリカ課

1965年 – 東宝外国部ローマ課

1967年 – 東宝東和に出向

1970年 – 東宝取締役

1973年 – 東宝常務取締役、営業本部長

1974年 – 東宝副社長

1977年 – 東宝代表取締役社長

1995年 – 東宝代表取締役会長

2009年 – 東宝名誉会長

趣味

テニス、ゴルフ

経歴

東宝名誉会長(元代表取締役会長)、日本アカデミー賞協会名誉会長、日本映画製作者連盟顧問、フジ・メディア・ホールディングス取締役、フジテレビ取締役、川喜多記念映画文化財団理事、公益法人UNIJAPAN評議員。

家族について

小林一三(父方祖父、東宝代表取締役社長) 日本の実業家で政治家。阪急電鉄・宝塚歌劇団・阪急百貨店・東宝をはじめとする阪急東宝グループ(現・阪急阪神東宝グループ)の創業者。

松岡潤吉(母方祖父、松岡汽船創業者)

松岡辰郎(父、松岡汽船代表取締役社長、東宝代表取締役社長) 9代目東宝代表取締役社長、コマ・スタジアム代表取締役社長、松岡汽船代表取締役社長、映画団体産業連合会長、日本映画製作者連盟理事長、日本演劇興行協会会長、日本経済団体連合会常任理事、東京商工会議所常任委員。 東宝の創業者・小林一三の次男として生まれる。1930年に慶応義塾大学を卒業と同時に松岡汽船の創業者・松岡潤吉の娘・松岡節子と結婚し松岡家の養子となる。

松岡通夫(兄、松岡汽船代表取締役社長)

小林喜美(姉、叔父・小林米三の養女、阪急電鉄相談役・小林公平の妻、阪急阪神HD取締役の小林公一の母)

千波静(妻、元宝塚歌劇団星組男役 本名・松岡葆子)

松岡宏泰(長男、東宝東和代表取締役会長、東宝取締役映像本部映画営業担当兼同国際担当兼関西映画営業担当)

松岡修造(次男、プロテニスプレーヤー) 職業:元男子プロテニス選手、スポーツキャスター、スポーツ解説者、日本テニス協会理事強化本部副部長

生年月日:1967年11月6日(51歳)

身長:188cm 体重:85kg

家族のほとんどがウィキペディアに載っているらしく、まさに華麗なる一族ですね。

エピソード

松岡修造氏は父親がテニスをしていたことを知らなかったのですがその理由としては、就職する際に テニス・デビスカップ日本代表に選ばれるほどのテニスプレイヤーであったが、実業家として専念するためにテニス用具やトロフィーなどを全て処分し、テニスからは一切足を洗っていたため、息子・松岡修造は父親がテニスをしていたことを知らなかったという。

松岡修造氏が渡米する際とプロになる際、お母さんは反対したみたいなんですが、功氏は反対しなかったみたいです。

テニス選手として息子を応援したかったのかもしれませんね。

息子である松岡修造と自社のスター・沢口靖子が交際しているとの報道がなされたときは、取材の報道陣に対し「沢口は映画界のスター。あんなテニス選手と付き合っているわけがない」と、コメントをしたことがある。

松岡功氏がその半生と日本映画界の裏話のことについて語った「私の履歴書」が面白いと話題に。

松岡家の宝塚との関係

功氏の妻が元宝塚歌劇団星組男役のスターの千波静(本名松岡葆子)です。 松岡修造さんのお母さんです。

そして松岡修造氏の長女・松岡恵さん受験者1042人の中から倍率26・1倍を勝ち抜いた合格者40人に選ばれ晴れて宝塚に。

松岡家の家系をを辿ると松岡修造氏からみて祖曽父に宝塚を作った小林一三氏がいます。

松岡家にとって宝塚は切っても切りはなせない関係ですね。 松岡氏の娘の恵さんにも脈々と受け継がれていますね。

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