テニス錦織圭の世界ランキングと成績は?

天才と言われる人は数多くいますが、錦織圭は間違いなくその一人です。

テニスは個人競技のため、もろに身体能力の差が現れます。団体スポーツの場合は苦手な部分を仲間が埋めてくれますが、個人スポーツはそうはいきません。

他のスポーツだと休憩中にコーチのアドバイスを受けることが出来ますが、テニスは試合途中でアドバイスを受けられないため自分で対応しなければなりません。

世界で活躍するためには、心技体を高いレベルで求められます。

まして日本人は体格的なハンデや国際経験が少ないため、錦織が現れるまでは世界のトップで活躍することは夢のまた夢でした。錦織は体格はそれほど大きくないのですが、圧倒的な才能と天性の感覚があります。

松岡修造の修造キャンプに参加した時も高1の選手に勝ったり、松岡氏自身も錦織圭の才能に惚れ込んでいました。

錦織は中学2年から盛田ファンドの第四期生としてアメリカのIMGアカデミーへ留学します。今現在も拠点はこのIMGアカデミーがあるフロリダです。

IMGアカデミーはアガシやハース、シャラポワを育てたニック・ボロテリーが運営していて、世界各国から世界のトップを目指す少年少女が集まります。

IMGアカデミーでは毎年高い目標をクリアしないとアカデミーから追い出されてしまうのですが、世界最高の環境で練習することが出来ます。錦織はこの環境でプロテニスと練習したりして過ごします。

練習も化学的で朝の体調チェックからコートにはカメラが設置してありトップのコーチから指導、練習まで研究されていて世界の最先端です。

アメリカ留学当初はホームシックになったりしたのですが、目標の「世界ナンバーワン」を目指して同年代の仲間、プロと接することで世界基準の身に付けていきます。

これまでの日本ではトップ100に入ることが成功と言えるものでした。近年錦織の活躍もありトップ100を切る選手も増えましたが、錦織以前はシングルスは松岡修造だけになります。

これだけメジャーなスポーツで世界のトップでやれているのは錦織圭だけではないでしょうか。

サッカーや野球やバスケは団体スポーツのため個人ランキングなどはないですが、メッシやクリロナと肩を並べる選手が日本人でいるとは思えません。

今まで世界ナンバー1と言う目標を公言したきた選手はいましたが、それに一番近いのが錦織圭です。

女子では以前、伊達公子(クルム伊達)さんが世界4位、杉山愛が世界8位とトップで活躍しましたが、男子の場合はほとんど居ません。

そこに風穴を開けたのが、錦織圭です。



テニス錦織圭の世界ランキングと成績は?

プロフィール

国籍 日本

出身地 島根県松江市

生年月日 1989年12月29日

身長/体重 177.8cm / 74.8kg

プレイスタイル 右打ち (両手バックハンド)

現所属 日清食品

プロ転向 2007年

経歴

ジュニア時代~

姉がテニスをしていた関係で錦織圭も5歳からテニスを始めます。地元のテニススクールに通いメキメキと力を付けていきます。

2001年12歳の5月、全国選抜ジュニア選手権で優勝。同年7月全国小学生大会、8月全日本ジュニア12歳以下で優勝し、史上5人目となる全国制覇3冠を達成します。

この5月の大会を観戦していた松岡修造が錦織の才能に惚れ込み、修造キャンプに参加します。期待からか松岡氏も錦織には熱心に指導します。この時は松岡の元コーチで世界的な名伯楽のボブ・ブレットを参加していて、錦織の才能を褒めています。

練習試合では全国レベルの高校1年生に勝って周囲を驚かしました。

周囲の推薦もあり「盛田正明テニス・ファンド(MMTF)」の選考会に参加します。そこでIMGのヘッドコーチであるハラミロの推薦を得て他の2人の日本人とアンリカに渡ります。

アメリカに渡った当初は、環境の変化からホームシックになりますが周囲の仲間にも助けられて徐々に環境に溶け込んでいきます。

2002年(12歳)の渡米した9月のテキサス州のジュニア大会ベスト8、ダブルスは準優勝する。12月のオレンジボウル選手権14歳以下の部で準優勝。このオレンジボウルはジュニアテニスの最高峰の大会です。

2003年(13歳)8月のワールドジュニア選手権大会優勝、12月のオレンジボウル14歳以下で優勝。

2004年(14歳)6月にモロッコのG3ジュニア大会では優勝と活躍。

高校時代

高校はアメリカに居ながら通信教育を受けられる青森山田に籍をおきます。この頃には活躍と才能が認められてIMGアカデミーのトップグループに昇格。

2005年(15歳)

1月の2月にジュニアG2の大会でともにベスト4、9月のUSオープンジュニアではシングルスベスト16、同月のジュニアデビスカップでは日本過去最高の5位、10月の大阪の世界スーパージュニアではベスト4、12月のグレードAの大会でベスト8と活躍。

2006年(16歳)

この年から大人のツアーもジュニアの大会と並行して出場していきます。3月には京都のチェレンジャーにワイルドカードで出場して本戦1回戦敗退。3月のメキシコのフーチャーズで予選から勝ち上がりベスト4、5月のコロンビアのフーチャーズでベスト8、同月のジュニアのグレードAの大会では準優勝。

6月の全仏オープンジュニアでは、シングルスベスト8、ダブルスでは優勝!日本男子史上初の4大大会ジュニアダブルス優勝の快挙を果たす。
この全仏で決勝に進むナダルに仮想フェデラーとして錦織をヒッティングパートナーに指名する。

9月のアメリカのフューチャーズでは予選を勝ち上がりベスト4、10月のメキシコのフューチャーズでは予選を勝ち上がりフューチャーズ初優勝!

いよいよ錦織圭が本格化していく。

17歳

2007年(17歳)

3月のマイアミ・マスターズのダブルスに、主催者推薦で元シングルス世界ランク1位のグスタボ・クエルテンと組んでツアー初出場する。この大会期間中にあのロジャー・フェデラーと練習することに。非公式ながら練習試合ではフェデラーに勝ったとか。

4月のアメリカのフューチャーズでは予選を勝ち上がり、決勝では同年代のドナルド・ヤング敗れるが準優勝。

5月のアメリカのチャレンジャーでは予選から勝ち上がり準優勝。7月のアメリカのツアーでは予選から勝ち上がり本戦に初出場。結果は一回戦敗退。

翌週のツアーのインディアナポリスでは予選から勝ち上がりベスト8と世界の舞台でも通用することを証明する。

そして日本に帰国して10月1日にプロ転向。東京のジャパンオープンがプロとしての初戦になる。

この試合を有明で生で見に行ったのだが、今まで雑誌でしか情報を得てなかったので生で錦織を見るのは初めてだった。相手は当時世界ランキング145位のザック・フレッシュマンでこれまでの成績だったら勝てるかなと思ったが結果は67 63 16で敗退。

感想としては、テニスとしてはかなり完成されていてショットのクオリティはこのレベルでも全然通じていたし、試合内容自体は勝っていてもおかしくなかった。バックハンドがミスが多く緊張からか改善点かなと思う程度だった。

でも、負けはしたものの確実に錦織圭が世界で活躍出来ると思える試合でした。

この年は590位からスタートした世界ランキングを261位に上げる。

プロでの成績

18歳

2008年(18歳)プロに転向したことで本格的にATPツアーを転戦することになる。1月のマイアミでのチェレンジャーでベスト4、そして2月のツアーをのデルレイビーチ選手権。

当初出る予定はなかったがコーチから腕試しもかねて出場することに。予選を勝ち上がり本戦でも勝ち進む準決勝で当時世界ランキング62位のサム・クエリーを46 62 76フルセットで下し決勝へ。決勝の相手は当時世界ランキング10位のジェームス・ブレーク。

ツアーの決勝に進んだだけでも凄いのだが、そのジェームス・ブレークを36 61 64で倒して優勝!この優勝は1992年のソウル大会で松岡修造がツアー優勝した16ぶりの快挙をわずか18才で成し遂げてしまう。

もちろん日本の新聞でも一面に。この18歳でのATPツアー優勝は、元世界ランキング1位のレイトン・ヒューイットに次ぐ世界2番目の若さでの快挙。

また内容も素晴らしく、フォアのスライスでのウイナー、ドロップショット、2ndサービスからなサーブ&ボレーと規格外の発想であのジャーム・ブレークが反応出来ない場面が多々あった。

この活躍によって世界ランキングも244位→131位に大きくジャンプアップして、世界が錦織圭に注目します。

この活躍で次週のメンフィスオープンに本選から出場。一回戦を勝ち、2回戦で当時世界ランキング6位のアンディ・ロディクと対戦する。出る杭は打たれるではないが、世界がトップのロディクが18歳の若者にたいして威嚇したり試合は26 46で敗退。

アンディ・ロディクはサーブが強烈で常時200キロ以上のサーブを放つのだが、錦織はインタビューでそれほど早さは感じなかったと語っている。

4月は日本のエースとしてデビス杯に出場。チームは負けるが、日本の最年少出場、最年少勝利を記録する。

全仏オープン前に出場したレベルの高いバミューダのチャレンジャーで優勝。これによって世界ランキングが120位から99位に!日本男子最年少で世界トップ100に。

6月のウインブルドンの前哨戦、イギリスの芝でのアルトワ選手権。本戦2回を勝ち上がり3回戦で第1シードで当時世界ランキング2位のラファエル・ナダルと対戦。この試合までナダルは好調だったが、10試合ぶりにセットを落とす。

46 63 36で負けはしたが、会見でナダルは「トップ10、あるいはトップ5に確実に入る」と言っている。

ここからケガがちになり本来の力を発揮出来ず途中棄権が多くなる。ウインブルドも本選から出場するが1回戦の試合途中で棄権。

8月には国際テニス連盟の推薦で北京オリンピックに出場。結果は1回戦敗退。

10月の最後のグランドスラム全米オープン。本戦1回戦を勝利し、錦織自身初のグランドスラム勝利。この勝利は日本男子のグランドスラム最年少勝利

さらに2回戦も勝利し続く3回戦は第4シードで当時世界ランキング4位のフェレール。この試合64 64 36 26 75のフルセットで勝利。続くベスト8をかけたデルポトロ戦ではストレートで敗退してしまうが、全米オープンでの4回戦進出は71年ぶりの快挙。

3回戦でのフェレール戦の試合は、テニスの内容も世界トップクラスの内容でした。

9月後半のジャパンオープンで日本に凱旋。プレッシャーがかかるなかベスト16で当時世界ランキング13位でジュニア時代の憧れでもあったリシャール・ガスケにストレートで敗退。

この試合で世界ランキングは77位に。

翌週のスウェーデンのストックホルムオープンではワイルドカードで出場し、ベスト8。この年は世界ランキング66位でフィニッシュ。来年以降かなり期待のもてる感じで締めくくる。

2008年度のATPワールドツアー最優秀新人賞(Newcomer of the Year)を受賞

19歳

2009年(19歳)1月の全豪オープンの前哨戦であるオーストラリアのブリスベン国際に出場。結果はベスト8。しかしここで右腕の故障。

全豪オープンでは、手首の故障もあり1回戦で敗退。

その後は右ひじの手術をおこなったため、すべてのツアーを欠場。錦織にとってはにがいシーズンになった。

20歳

2010年(20歳)本当は年始の全豪オープンに復帰を目指していたが、大事を取って2月の初優勝をしたデルレイビーチ選手権から長いリハビリを経て復帰。結果はフルセットで1回戦負けでしたが、インタビューではひじの状態は問題なかったとコメント。

5月には落ちてしまった世界ランキングを上げるためにアメリカのチャレンジャーに参戦。なんと2大会連続優勝して復活をアピール。

世界ランキングも644→246位まで回復。

5月後半から始まる全仏オープンには、ケガ前のプロテクトランキングを使って本選から出場。見事一回戦を突破して、全仏では松岡修造以来17年ぶりの日本男子1回戦勝利。

続く2回戦では、当時世界ランキング3位のノバク・ジョコビッチに16 46 46のストレートで敗退するが、ジョコビッチがとても才能があるとコメント。

6月後半から始まるウインブルドにはワイルドカードで本戦から出場。1回戦で当時世界ランキング1位のラファエル・ナダルとセンターコートで対戦。結果はストレートで敗退。

8月のアメリカでのチャレンジャーを優勝して、全米オープンへ。

全米オープンでは予選3試合を勝ち上がり、本戦でも1回戦を勝利。2回戦で当時世界ランキング13位のマリン・チリッチ相手に5時間近くの試合をフルセットで勝利。この激戦が響いてか続く3回戦は途中棄権で敗退。

10月のジャパンオープンは1回戦敗退で、11月に出場したアメリカのチャレンジャーで優勝。

この年898位からスタートした世界ランキングを101位まで伸ばしてシーズンを終了する。

21歳

2011年(21歳)この年の初めにトラベリングコーチとしてアガシやロディクの元コーチのブラッド・ギルバード契約する。ユニクロとも5年契約。

1月の全豪オープンでは初戦初勝利で46年ぶりの3回戦進出。2月のデルレイビーチでベスト4、4月のヒューストンで決勝まで進みますが惜しくも準優勝。

5月後半の全仏オープンでは1回戦を突破しますが、2回戦で敗退。5月には松岡修造の日本男子最高ランキングの46位に並びます。

6月のウインブルドの前哨戦のイギリスのイーストボーンでベスト4、ウインブルドでは元世界ナンバーワンのレイトン・ヒューストンに16 67 76 36で敗退。

8月後半のアメリカのウインストン・セラームで予選から本戦ベスト16。続く全米オープンでは1回戦でケガのため棄権。

9月のデビス杯ではインドとのワールドグループプレーオフでシングルス2勝して27年ぶりのワールドグループ進出に貢献。

9月後半のマレーシアオープンではベスト4に入り翌週の楽天ジャパンオープンに繋げるが、初戦でフェレールに敗退。

翌週の上海で行われた上海マスターズで自身マスターズ大会初のベスト4に進出。10月後半にはスイスに移動してバーゼルオープンに臨みます。

本戦を勝ち上がり準決勝で当時世界ランキング1位のノバク・ジョコビッチに26 76 60の逆転で勝利し世界ランキング1位を倒した史上初の日本人に。続くこれが公式戦で初となるフェデラーとの決勝では、フェデラーの速い展開のプレーにストレートで敗退。

この準優勝でランキングは24位になりシーズンを終える。

22歳

2012年(22歳)全米オープンでは初のシードが付いて出場。2回戦では2セットダウンからの逆転で勝利、続く3回戦は逆転で4セットで勝利、4回戦ではフランスのツォンガ相手に26 62 61 36 63のフルセットで勝利しグランドスラムベスト8。

次の世界ランキング4位のアンディ・マレーにストレートで敗退するが、全豪オープンでのベスト8は80年ぶりの快挙。

3月のアメリカのマイアミで行われたソニーエリクソンオープンで4回戦でナダルに敗れるもベスト16。

4月後半のバルセロナの大会でベスト8に進出するも、腹筋痛により全仏オープンを含む数試合を欠場。クレーでの戦いは長期戦になるため、体力の消耗が激しい。

6月後半から始まるウインブルドンで試合復帰。松岡氏以来17年ぶりに3回戦に進出するが、デルポトロにストレートで敗退。

7月のアメリカの大会はどちらもベスト8。

7月後半には自身二度目となるロンドンオリンピックに出場する。88年ぶりとなるベスト8という成績を残す。

第17シードで出場した全米オープンでは3回戦でマリン・チリッチに敗退。

9月後半のマレーシアオープンではベスト4、次週の楽天ジャパンオープンでは、期待される中1回戦で日本の添田豪を倒し勝ち進み決勝へ。決勝の相手は一歳年下の当時世界ランキング15位のミロシュ・ラオニッチ。ビックサーブを得意とする選手。

結果は76 36 60で見事、楽天ジャパンオープンでツアー2勝目

この活躍により世界ランキングは15位に浮上。トップ10間近になりツアーを終える。

23歳

2013年(23歳)1月のブリスベン国際でいきなりのベスト4。そして第16シードとして臨んだ全豪オープンで見事ベスト16。

続く2月のアメリカのインドア選手権では1回戦からすべてストレート勝ちでツアー3勝目を飾る。

5月のクレーコートシーズンも好調で、マスターズのマドリードオープンでは3回戦でロジャー・フェデラーを64 16 62で勝利。結果は4回戦で敗退。

全仏オープンでは4回戦でクレーの王者のナダルに負けたもののベスト16に進出。ウインブルドンでは3回戦敗退。ウインブルドン前の世界ランキングは11位。

期待されていた全米オープンではまさかの1回戦敗退。

去年優勝した楽天ジャパンオープンはベスト16でその後数試合して19位でシーズン終了。

24歳

2014年(24歳)シーズンが始まり前にマイケル・チャンと練習と指導してもらい、この年から正式なコーチに。

1月のブリスベン国際ではベスト4に入り、第16シードとして全豪オープンへ。四回戦のベスト16で当時世界ランキング1位のナダルに67 57 67で負けますが試合は互角に渡り合いました。

2月には去年優勝したメンフィスのインドアテニス選手権に第1シードで臨み見事優勝!2連覇とツアー4勝目を上げる。

3月のマイアミマスターズでは、4回戦で第4シードのフェレール、準々決勝で第5シードのフェデラーを破りベスト4に進出。次のジョコビッチ戦はケガのため棄権。

4月のスペインのバルセロナオープンは、ほとんど苦労することなくクレーコートで初優勝!ツアー通算5勝目を上げる。

5月のマドリードオープンでも決勝まで勝ち進み、決勝で第1シードのナダルと対戦。クレーが得意のナダルに対して攻めまくり第一セット先取。完全に勝てる内容だったが、途中から痛めた腰の痛みのため棄権。準優勝に終わる。

この試合で獲得したポイントにより世界ランキングが9位になり、日本男子初のトップ10選手となる。

全仏オープンではケガの影響で1回戦敗退。

少し休養して臨んだウインブルドンの前哨では準決勝でフェデラーに敗れるが、ベスト4。

ウインブルドンでは第10シードで臨み、3回戦のボレッリは楽勝かと思いきやランキング以上のプレーをしてきてフルセットの末勝利。4回戦ではラオニッチに64 16 67 36と惜敗しますが、自身最高のベスト16。

8月後半から始まる全米オープン。本選を3回勝って4回戦は第5シードのラオニッチをフルセットで準決勝では第3シードのワウリンカをフルセットで撃破。続く第1シードで世界ランキング1位のジョコビッチを64 16 76 63の4セットで倒して夢にまで見たグランドスラム決勝の舞台へ。

日本時間だと早朝からの試合開始だったが、日本中の期待を背負い闘う。決勝の相手のマリン・チリッチは何度も対戦していて現在まで14試合して錦織の7勝6敗。

錦織に分があるかなと思われたが、チリッチの調子が良く36 36 36のストレートで敗れて全米オープン準優勝。この結果はアジア人としては初で世界ランキングは8位へ。

9月後半から始まるマレーシアオープンでは優勝でツアー6勝目、翌週の楽天ジャパンオープンでは決勝で初優勝したときと同じラオニッチと対決。76 46 64の接戦を制して、楽天ジャパンオープン優勝。2週連続優勝!ツアー7勝目に。

そして世界ランキングは、6位に。

10月後半のパリのマスターズでも勝ち進みベスト4。世界ランキングは、5位に。これで最終戦のATPワールドツアーファイナルズに出場確定。もちろんアジア人初。この最終戦は世界のトップ8人しか出場できない大会でエリート中のエリートの大会。賞金も破格。

この大会は4人ずつ2つのグループに分かれて総当たりをして上位2人が決勝トーナメントに出場できる。錦織はフェデラー、マレー、ラオニッチ(棄権で代役フェレール)の組に入り、フェデラーに負けるがマレーとフェレールに勝ち初出場で決勝トーナメントへ。

決勝トーナメントでは、ジョコビッチと戦い16 63 06で負けベスト4。決勝はジョコビッチとフェデラーになるのだがフェデラーが決勝戦前に棄権したためジョコビッチの不戦勝に。

錦織がジョコビッチに勝っていれば優勝と言う形だった。

25歳

2015年(25歳)1月に相性の良いブリスベン国際でシングルスベスト4、ダブルスでははじめて決勝まで進み準優勝。全豪オープンに弾みをつける。

全豪オープンでは第5シードで臨み、準決勝でワウリンカに敗退。ベスト8で終える。

2月の2連覇しているメンフィスのインドアテニス選手権に第1シードで出場。準決勝でアメリカのサム・クエリー相手に57 76 76と接戦で勝ち、決勝はアンダーソンにストレートで勝利しメンフィス3連覇。ツアー通算8勝目!

続く2月後半のメキシコでの大会で決勝でフェレールに負けるも準優勝。これで世界ランキングが自己最高の4位に。

3月後半のマイアミマスターズではベスト16。

4月後半のスペインンのバルセロナオープンでは去年に引き続き優勝で2連覇!ツアー通算9勝目でクレー2勝目。

全仏オープン前のBNLイタリア国際ではベスト8で全仏オープンへ。

全仏オープンでは第5シードで出場し順調に勝ち上がり準々決勝でツォンガに16 46 64 63 36のフルセットで惜しくも敗退。ベスト8。

続くドイツでの芝のゲリー・ウェバー・オープンで準決勝でふくらはぎの痛みのため途中棄権。ベスト4。

ウインブルドンでは第5シードで出場で出場したが、1回戦突破後ケガの痛みのため棄権。

ケガ明けの8月のアメリカのシティオープンで決勝まで勝ち上がり2m以上ののジョン・イスナーを46 64 64で下し、シティオープン優勝!ツアー通算10勝目。

次週のロジャーズカップでは準々決勝でナダルと対戦。今までナダルに対しては7戦全敗であったが、62 64で初勝利。続く準決勝のマレーにはストレートで敗退でベスト4。

全米オープンでは去年決勝の舞台に進んだが、まさかの1回戦でフルセットの末敗退。

10月の楽天ジャパンオープンではベスト4。錦織効果もあって連日大盛況。

上海のロレックスマスターズ、パリのBNPパリバマスターズではともにベスト16。そして2年連続でATPツアーファイナルズへ。

錦織は、ジョコビッチ、フェデラー、ベルディヒという厳しい組に。ベルディヒから1勝を挙げるのみにとどまり1勝2敗でグループリーグ敗退。

26歳

2016年(26歳)1月のブリスベン国際に出場してベスト8。

全豪オープンでは準々決勝まで勝ち上がり当時世界ランキング1位で第1シードのジョコビッチに36 26 46のストレートで敗退。ベスト8。

2月に3連覇しているメンフィスのインドアテニス選手権に出場。ワイルドカードから勝ち上がった地元の18才フリッツをストレートで下して、メンフィス優勝。ツアー通算11勝目でこの大会4連覇。

3月のインディアナウェールズのマスターズではナダルに敗退してベスト8、続くマイアミのマスターズでは準決勝でリック・キリオスを倒して決勝へ。決勝ではジョコビッチに36 36のストレートで敗れるが、自身2度目のマスターズシリーズ準優勝。

4月にはスペインに移動してクレーコートのバルセロナオープンへ。2連覇中の大会。決勝まで勝ち進みましたがナダルにストレートで破れ3連覇ならず。準優勝。

5月のマドリードオープンではベスト4、BNLイタリア国際でもベスト4、とクレーコートで好調のまま全仏オープンへ。

全仏オープンは第5シードで出場しましたが、4回戦で第9シードのリシャール・ガスケに4セットで敗退しました。

ウインブルドンでは大会直前で痛めたケガのため、4回戦のチリッチ戦の試合途中で棄権。

7月後半のアメリカのロジャーズカップでは決勝に進み、ジョコビッチにストレートで負けますが、自身3度目のマスターズシリーズ準優勝。

そして8月には自身3度目のリオオリンピック出場。準優勝で第6シードのモンフィス相手に76 46 76と3時間近くの激戦を制して準決勝へ。これに勝つと金か銀が確定するが、第2シードのアンディ・マレーが立ちはだかり16 46で敗退。3位決定戦へ。

3位決定戦はこれまで相性の悪いナダルであったが、62 67 63のファイナルセットで倒して日本人として96年ぶりとなる銅メダル獲得。

8月後半から始める全米オープンに第6シードで出場。準々決勝で第2シードのアンディ・マレーと対決。16 64 46 61 75のフルセットで勝利しリオオリンピックのリベンジ。続く準決勝は第3シードのワウリンカで64 57 46 26の4セットで逆転負け。ベスト4。ワウリンカはこのまま全米オープンで優勝する。

アメリカのテニス協会から「全米オープン・スポーツマン賞」を受賞。

10月の楽天ジャパンオープンではケガのため2回戦途中で棄権。10月後半のスイスのインドアでは決勝でチリッチにストレートで負けますが、準優勝。そして3年連続でATP1ツアーファイナルズへ。

最終戦の組み合わせは、錦織、マリー、ワウリンカ、チリッチと対戦成績があまり良くない組に。初戦のワウリンカに勝ち、続くマリーには負けるがこの時点で決勝トーナメント進出決定。チリッチにはフルセットで敗れグループリーグ1勝2敗。

決勝トーナメントではジョコビッチと戦い16 16で負けてこのシーズンを終える。世界ランキングは5位。年間勝利数は58勝で世界3位の成績。

27歳

2017年(27歳)1月の調子の良いブリスベン国際に第3シードで出場。決勝まで進み第7シードのディミトロフにストレートで敗退。準優勝。

全豪オープンでは第5シードで出場し4回戦で優勝するフェデラーに76 46 16 64 36ファイナルセットに持つれこむ大接戦の末敗退。

この年はいつもと違う南米のクレーコートの大会へ。

2月のアルゼンチンのブエノスアイレスでは決勝まで行き準優勝。

3月のアメリカのマスターズシリーズ、インディアナポリス、マイアミでともにベスト8。

5月後半から始まる全仏オープンでは、第8シードで出場し準々決勝で第1シードのアンディ・マリーと対戦。62 16 67 16の逆転で負けベスト8。

7月のウインブルドンでは第9シードで出場し、3回戦で敗退。

7月後半のアメリカのシティオープンではドイツの超新星ズブレフに敗退するが、ベスト4。

この次のカナダでのロジャーズカップの2回戦でモンフィスに76 57 67で敗退。手首を痛めて検査結果が筋の部分断裂と診断されこの年のツアーを全休。

28歳

2018年(28歳)ランキングが下がってしまったため調整をかねて1月後半にアメリカのダラスのチャレンジャーに出場。見事優勝。

2月のニューヨークオープンでは準決勝でケビン・アンダーソンに16 63 67とファイナルセットのタイブレークで惜しくも負けるがベスト4。

4月のモナコで開催されたロレックス・モンテカルロマスターズでベルディヒ、チリッチ、ズブレフと強敵をなぎ倒しナダルとの決勝へ。

決勝ではナダルに36 26とストレートで敗れるが、復活を印象づける結果に。

2018年 錦織 ツアー日程詳細

随時更新予定。

性格とプレースタイル

性格

性格は天然なマイペース。自分の世界を持っていて不思議ちゃんです。これだけのスターであるにも関わらず気取ることはなく、みんなから愛されています。

テレビでも結構おちゃめな姿が見れますよね。

ジュニア時代に錦織が注目され始めたころは、2チャンネルで悪い書き込みなどもありましたが、結果でみんなを黙らせました。

テニスに関しては、自由な創造性を武器にしているため、ギルバードやチャンなど基礎を大事にして反復練習を重視するタイプとは相性が良くないと思いましたが、そのおかげで以前より安定感は増しました。

プレースタイル

錦織圭の代名詞でもある「エアーK」はフォアハンドでジャンプしながらボールをたたくショットです。以前からフォアハンドには定評があり、コートのどこからでもエースを狙えます。

フォアハンドが強烈なので、たまに放つドロップショットが効果的で相手は反応することが出来ません。

以前はサーブとベックハンドが弱点でしたが、今ではバックハンドは世界でもトップクラスだと言われています。サーブが弱い分、リターンが強烈でストロークとリターンは世界トップクラスにあります。

錦織は以前同じ球は打ちたくないと言っていて、自由な発想でテニスをするため相手も的を絞れません。予測も早く展開も色々なボールを混ぜながらうまいです。

サーブが世界的にみるとまだ弱く、フリーポイントが取れないため長期戦になることでケガもしやすくなります。サーブ向上が世界1へのカギになります。

おもな成績

2001年 全国選抜ジュニア選手権で優勝、全国小学生大会で優勝、全日本ジュニア12歳以下で優勝、史上5人目となる全国制覇3冠を達成。

2003年 ジュニアオレンジボウル選手権14歳以下で準優勝。

2004年 モロッコのG3ジュニア大会で優勝。

2005年 USオープンジュニアベスト8、大阪市長杯世界スーパージュニアベスト4。

2006年 全仏オープンジュニアでは、シングルスベスト8、ダブルスでは優勝。メキシコフーチャーズでフューチャーズ初優勝。

2007年 10月のジャパンオープンでプロ転向。インディアナポリスベスト8。

2008年 デルレイビーチ国際選手権でATPツアー初優勝、全米オープンベスト16。

2009年 ブリスベン国際ベスト8。ケガでツアー欠場。

2011年 全豪オープン3回戦、全米クレーコート選手権準優勝、上海マスターズでベスト4、スイスインドアで準優勝。

2012年 全豪オープンテニスのベスト8。楽天ジャパンオープン優勝、アメリカ国際インドア選手権優勝。

2013年 アメリカ国際インドア選手権優勝、全仏オープンベスト16。

2014年 アメリカ国際インドア選手権を連覇。マイアミのマスターズでベスト4、バルセロナのATP500で優勝。マドリッドのマスターズで準優勝。全米オープングランドスラム準優勝。マレーシアオープン優勝。楽天ジャパンオープン優勝。ATPワールドツアーファイナルズベスト4。

2015年 アメリカ国際インドア選手権を3連覇。メキシコオープンで準優勝。ATPランキングを自己最高の4位。バルセロナオープン連覇。全仏オープンベスト8、シティーオープン優勝。2年連続でATPワールドツアーファイナルズに出場。

2016年 アメリカ国際インドア選手権を4連覇、マイアミオープン準優勝、バルセロナオープン準優勝、ロジャーズカップ準優勝、リオオリンピック銅メダル、全米オープンベスト4、3年連続でATPワールドツアーファイナルズに出場。

2017年 ブリスベン国際準優勝。全豪オープンベスト16、ブエノスアイレス準優勝。全仏オープンベスト8、シティオープンベスト4

2018年 モンテカルロ準優勝。

錦織圭の世界ナンバー1と東京オリンピック金メダルを期待して。

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