氷上の貴公子 本田武史の現在(いま)は?

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現在男子フィギュアスケート界は、引退した高橋大輔、織田信成、小塚崇彦、羽生結弦、宇野昌磨など多くのスター選手がいます。

そのフィギュアスケートの礎を築いたのが、本田武史選手です。

本田選手は高橋大輔選手が現れるまで、10年以上日本のトップ選手として世界と戦いました。

今でこそスター選手が増えて人気スポーツになりましたが、それまでの日本男子フィギュアスケートはマイナースポーツでテレビやニュースで報道されることは少なかったです。

今こうしてメディアでフィギュアスケートの人気を築いたのも、本田武史選手の影響が大きいです。

そんな本田武史選手について調べてみました。



本田武史(ほんだ たけし)プロフィール

代表国: 日本

生年月日: 1981年3月23日

年齢 37歳

出生地: 福島県郡山市

身長: 168 cm

所属クラブ: IMG

引退: 2006年

兄がスピードスケートを習っていたことがきっかけで、7歳からショートトラックを始める。

8歳の頃、郡山スケートクラブに入り、フィギュアスケートに転向。

フィギュアスケートを始めて3年で3回転ジャンプを習得するまでに成長。

本格的にフィギュアに取り組むために、仙台に移り住むことに。

仙台市立七北田中学校に入学し、中学1年のときに初めてとなる国際大会トリグラフトロフィーノービスクラスで優勝。

1994-1995シーズン(中学2年) 

全日本ジュニア選手権で3回転アクセルの大技に成功して、周囲を驚かせる。

1995-1996シーズン(中学3年) 

ネーベルホルン杯では公式練習ながら、当時日本人が飛んだことのない4回転ジャンプを飛び優勝。初のシニア大会であるNHK杯で4位入賞。

全日本ジュニア選手権で初優勝を果たし、世界ジュニア選手権では初出場ながら2位と好成績を収める。

全日本選手権では男子シングル選手として史上最年少の14歳という若さで優勝を達成!中学年チャンピオンとして話題に。 初めて出場した世界選手権では13位と健闘。

高校は、スポーツの名門の東北高校に進学。本田の一学年上には田村岳斗、一学年下には荒川静香といった選手が顔を揃える。

1996-97シーズン(高校1年)

全日本選手権で2連覇。2度目の出場となった1997年世界選手権では10位となり、長野オリンピックの男子シングル日本代表に内定。

1997-98シーズン(高校2年)

NHK杯でケガをし、全日本選手権を欠場。

長野オリンピックでは総合で15位(SP18位,フリー12位)。

世界選手権の予選で、自身初の4回転トウループに成功したが、結果は総合11位。

1998-99シーズン(高校3年)

NHK杯ではエフゲニー・プルシェンコに次いで、2位入賞。12月にはカナダのダグラス・リーのもとに拠点を移す。 この年の1999年に初めて開催された四大陸選手権で優勝。17歳で初代王者に。

1999-00シーズン(18歳)

法政大学に進学。

スケートカナダで3位。全日本選手権で3年ぶり3度目の優勝を飾る。

2000-01シーズン(19歳)

全日本選手権で4度目の優勝し、四大陸選手権では2位に。世界選手権では総合5位入賞し。

2001-02シーズン(20歳)

スケートアメリカで2位。NHK杯では日本人として20年ぶりの優勝!日本人男子として初めて出場したグランプリファイナルは5位。

これらの結果により自身二度目の五輪であるソルトレイクシティオリンピックの男子シングル代表に内定。

ソルトレイクシティ五輪男子シングルでは、総合4位入賞(SP2位,フリー4位)。惜しくもメダルを逃すが大健闘。

オリンピック後に行われた、世界選手権で3位になり銅メダルを獲得。日本男子シングル選手としては25年ぶりとなるメダル獲得。

2002-03シーズン(21歳)

この頃に振付師をあの有名なニコライ・モロゾフに変更。

グランプリシリーズのスケートカナダでは2種類の4回転ジャンプを取り入れて優勝。その後のラリック杯は3位、NHK杯では2位と好成績を残す。

全日本選手権で5度目の優勝をし、冬季アジア大会でも優勝。

四大陸選手権では完璧な演技を見せ、技術点で2人、芸術点で3人の審査員から満点の評価で優勝

世界選手権では、去年に引き続き3位で銅メダル獲得。世界選手権で日本男子シングルで2年連続のメダル獲得は史上初の快挙。

2003-04シーズン(22歳)

スケートアメリカで2位、スケートカナダで3位に。しかしその後にケガをして、その後の試合を欠場。

2004-05シーズン(23歳)

ケガあけの全日本選手権では2年ぶり通算6度目の優勝。2大会ぶりの出場した世界選手権の予選前の公開練習で足をねんざしてしまい、残りのシーズン欠場。

2005-06シーズン(24歳)

このシーズンで引退することを表明。トリノオリンピックは高橋大輔および織田信成といった若手の活躍で、出場を逃す。06年の全日本選手権を最後に引退。

本田武史の現在(いま)は?

2006年~ 華々しい活躍をしてフィギュアスケート界を引っ張ってきた本田武史選手。

06年にはプロに転向。

高校の後輩の荒川静香さんと一緒にてプリンスアイスワールドやチャンピオンズ・オン・アイスなどで活動しています。

私生活では、07年に1歳年上の女性と結婚し3人の子供の父親です。

2008-2009シーズンから浅田舞や澤田亜紀のコーチになったほか、高橋大輔のジャンプ技術コーチとしてジャンプの指導も。

現在は、関西大学アイスアリーナでスケートを教える傍ら、テレビ解説の仕事をしています。分かりやすい解説は好評の声。

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