テニスをしたことや見たことがない方でも「ロジャー・フェデラー」の名前は聞いたことがあるかと思います。
ロジャー・フェデラーが歩んできた道は、過去のテニス界のレジェンドの記録を打ち破りピート・サンプラスがもつグランドスラム14個の優勝回数を遥かに超える20個を記録しています。
ジュニアの頃から天才の名を欲しいままにしてきたフェデラーですが、プロ入り当初は同年代のヒューイットの存在に苦しみます。
ヒューイットが若干20歳で全米オープン優勝し世界ナンバー1になる中、フェデラーは才能のわりになかなか思うような結果を出せずにいました。
転機の一つとなったのが自身の憧れでもあったウインブルドン4回戦でのサンプラス戦です。
芝で絶対の強さを見せるチャンピオンのサンプラスに対して、フルセットで勝利し世界に衝撃を与えます。
新たなスターの誕生です。
そのテニスはまさにオールラウンダー。初めの頃はサーブ&ボレーを中心としていましたが、段々ストロークを中心のベースラインからのプレーに比重を置いていきました。
正確無比なサーブ、完璧なボレー、強力なフォアハンド、バックハンドのスライス、相手のエース級のボールをカウンターでエースにしてしまう神業。などすべての技術においてレベルが高く完成されています。
ジュニア時代は天才ゆえにか気性が荒く、試合中に崩れることがおおかったのですがメンタルを改善してからは、成績も安定します。
ヒューイットの鉄壁の守備に手を焼いていたのですが、それを上回る速い展開でその牙城を破り伝説の選手へと成長します。
そんな生きる伝説のロジャー・フェデラーの物語です。
国籍 スイス
出身地 バーゼル
生年月日 1981年8月 8日
身長 / 体重 185cm / 85kg
利き腕 / バックハンド 右 / 片手
プロ転向 1998年
スポーツ好きでテニス関連の仕事をしていた両親のもと生まれたフェデラー。
1歳半のときには1時間以上もボールと戯れていた。
3歳すぎにはボールを使ってテニスを楽しむ。
運動神経抜群のフェデラーは、優しくて親切で、行儀がよく、自信に満ち溢れていて地元でも人気の少年に。
スポーツもサッカー、水泳、スキー、スケートボード、卓球、テニス、ハンドボール、バスケットボール、ホッケー、レスリングなど様々なスポーツを経験。
最終的にサッカーとテニスにのめり込んでいく。
4歳の頃テニス選手で一番最初に憧れたのが、ボリス・ベッカー。ベッカーが負けると大泣きしていたらしい。
この時、「テニスは最高だ!常に緊張感に溢れている。勝っても負けてもずっとこのスポーツと関わっていくと決めた」
別に頭が悪かったわけではなかったが、フェデラーは関心が低いことにはあまり目をむけなかったため学校の成績は平凡なものだった。
母親が南アフリカ出身ということもあり、英語の習得は早く、いま現在でも南アフリカの国籍を保有している。
元テニスプレイヤーでトップ50のマルコ・チウディネリとは幼少期からの友達で、一緒にサッカーやテニスをしていた。
フェデラーはサッカーでのポジションは、フォワード。
8歳でテニスクラブに入り、本格的にテニスを始める。
テニスの才能には目をみはるものがあり、他の子が数週間かかる技術を2~3回でものにしてしまい周りを驚かせる。
しかしこの頃は試合に出ても、「自分の思い通りにいかないと荒れて、手が付けられないほど」と家族が語っている。
父親も息子に才能があるのは分かっていたが、中の上ほどの評価で世界のトップに行くほどとは思っていなかった。
11歳になると同年代のスイス選手の中で1番まで成長。
12歳になる頃にサッカーかテニスかの選択をせまられたが、テニスの方が結果が出ていたのもありテニスに決める。
13歳となったフェデラーは、故郷のバーゼルを離れスイスのナショナルトレーニングセンターがある街にホームステイすることに。
このナショナルトレーニングセンターには同年代で日本の加藤純もいて、日本には馴染みが深い。一緒にダブルスで大会に出ることも。
1996年(15歳)
グレード2のスイスジュニアトーナメントでベスト16、グレード1のカサブランカカップでは予選から本戦2回戦。
1997年(16歳)
グレード2のプラート国際ジュニアではシングルス優勝、ダブルスでは加藤と組み準優勝、イタリアジュニアチャンピオンシップで予選からベスト8。
このころ今はないサテライトを周り、世界ランキングを獲得。
初登場803位。
1998年(17歳)
全豪オープンジュニアで単複ベスト4、グレード1のLTA国際ジュニアでベスト4、ウインブルドンジュニアで優勝、全米オープンジュニアでナルバンディアンに敗れて準優勝、オレンジボウルで優勝。
7月 スイスのグシュタードオープンにワイルドカードで本戦に出場。当時88位のキブロンに46 46で敗退。
9月 フランスのトゥルーズで本戦ベスト8。
ランキングは一気に396位に。
10月のバーゼルでは本戦1回戦でアンドレ・アガシと対戦し36 26で敗退。
プロ転向。
世界ランキングは298位。
1999年(18歳)
1月 ドイツのハイルブロンチャレンジャーでベスト4。
2月 マルセイユオープン1回戦で当時世界ランキング5位のカルロス・モヤを761 36 63で倒す番狂わせ!ベスト8。
ロッテルダムオープン準々決勝で当時2位のカフェルニコフに16 75 46で敗れるが、ベスト8。
世界ランキングは178位に。
3月 デビス杯イタリアとの対戦で初のスイス代表として選出、出場。添田のコーチの当時48位のダビデ・サンギネッティに64 673 63 64で勝利。
5月 スロベニアのリュブリャナチャレンジャーでベスト4。
全仏オープンでグランドスラム初出場。本戦1回戦で当時3位のパトリック・ラフターに75 36 06 26で敗退。
サービントンチャレンジャーではベスト4。
初出場のウインブルドンでは本戦1回戦で当時58位のイジー・ノバクに36 63 64 36 46とフルセットの末敗退。
9月 タシュケントオープンで本戦2回戦。
世界ランキングは100位をきり、96位に。
10月 地元のバーゼルオープンで当時8位のティム・ヘンマンに36 57で敗れるが、ベスト8。
続くウィーンオープンでは準決勝で当時7位のルゼドスキーに負けるがベスト4。
リヨンオープンでは2回戦でレイトン・ヒューイットに674 62 46で敗退。
フランスのブレストチャレンジャーで、チャレンジャー初優勝!
世界ランキング64位
勝利数13勝-17敗
2000年(19歳)
1月 全豪オープンで3回戦進出。
2月 マルセイユオープンではツアー初の決勝進出。地元の先輩のマルク・ロセに62 36 67のフルセットで敗れて、準優勝。
コペンハーゲンオープンでベスト4。
5月 全仏オープンで4回戦進出。4回戦で当時10位のアレックス・コレチャに57 67 26で敗退。
6月 ハレオープンでベスト8。
ウインブルドンでは1回戦で当時5位のカフェルニコフに57 57 67のストレートで敗退。
8月 全米オープンでは3回戦で当時12位のフェレーロに57 67 61 67で敗退。
9月 シドニーオリンピックでオリンピック初出場。準決勝でトミー・ハースに36 26で敗れ、3位決定戦に。3位決定戦では当時62位のパスカルに67 76 36で敗れ、惜しくもメダル獲得ならず。
10月 ウィーンオープンで1回戦で当時4位のマグナス・ノーマンを敗り、ベスト4。
バーゼルオープンで準決勝で当時9位のレイトン・ヒューイットを64 57 76で倒し決勝進出。決勝では当時6位のトーマス・エンクビストに26 64 67 61 16フルセットで敗れ、準優勝。
世界ランキング30位
36勝-30敗
2001年(20歳)
1月 シドニーオープンでベスト8。
全豪オープンでは3回戦でアルノー・クレマンに2年連続で敗退。
ミランオープンで準決勝で当時7位のカフェルニコフに62 67 63で勝利し決勝へ。決勝では当時67位のボルターに64 67 64で勝利し、ツアー初優勝!
2月 マルセイユオープンでベスト4。ロッテルダムオープンで決勝まで進み、準優勝、ダブルスではビョルクマンと組み初優勝。
3月 マイアミマスターズでベスト8。
4月 モンテカルロマスターズでベスト8。
5月 全仏オープンでベスト8。準々決勝でで当時13位で準優勝したアレックス・コレチャに57 46 57のストレートで敗退。
6月 スヘルトーヘンボスオープンでベスト4。
ウインブルドンでは4回戦で昨年のチャンピオンで当時6位のピート・サンプラスと対戦。76 57 64 67 75のフルセットで倒し、新たな時代の到来を予感させる。続く準々決勝で当時11位のティム・ヘンマンに57 67 62 67で敗れ、ベスト8。
8月 全米オープンでは4回戦で当時2位のアンドレ・アガシに16 26 46のストレートで敗退。
10月 バーゼルオープンで決勝進出。決勝でティム・ヘンマンに36 46 26で敗れ、準優勝。
世界ランキング13位
49勝-21敗、タイトルはシングルス1、ダブルス2
2002年(21歳)
1月 シドニーオープンで優勝!ツアー通算2勝目。
全豪オープンでは当時9位のトミー・ハースに67 64 63 46 68で敗れ、4回戦敗退。
2月 ミランオープンで準優勝。
3月 マイアミマスターズで準決勝で当時1位のレイトン・ヒューイットを63 64で倒し決勝へ。決勝では当時10位のアンドレ・アガシ36 36 63 46で敗れるが、マスターズ初の準優勝。
5月 ハンブルグマスターズの決勝で当時5位のマラト・サフィンを61 63 64で倒し、マスターズ初優勝!ツアー通算3勝目。
全仏オープンでは1回戦敗退。
6月 ハレオープンでベスト4。
期待されたウインブルドンでは1回戦で当時154位のマリオ・アンチッチに36 67 36のストレートでまさかの敗戦。
8月 全米オープンでは4回戦で当時34位のマックス・ミルヌイに36 67 46のストレートで敗退。
9月 モスクワオープンではベスト8。
10月 ウィーンオープンでは準決勝で当時9位カルロス・モヤを倒し決勝へ。決勝では当時12位のイジー・ノバクを64 61 36 64で倒し、優勝。ツアー通算4勝目。
この勝利で世界ランキングは7位に。
マドリードマスターズでベスト8、バーゼルオープンでベスト4。
パリマスターズでベスト8。
世界ランキング6位で最終戦のマスターズカップへ出場。
ラウンドロビンでトーマス・ヨハンソンに63 75、イジー・ノバクに60 46 62、フアン・カルロス・フェレーロに63 64、の3戦全勝で準決勝進出。
準決勝では優勝したレイトン・ヒューイットに57 75 57で敗れる。
世界ランキング6位
58勝-22敗、タイトルはシングルス3、ダブルス2
2003年(22歳) この年、フェデラーの力が覚醒する。
1月 ドーハオープンでベスト8。
全豪オープンでは4回戦で当時12位のダビド・ナルバンディアンに46 63 16 61 36のファイナルセットの末破れ、4回戦敗退。
2月 マルセイユオープンでヨナス・ビョルクマンを倒し、優勝。ツアー通算5勝目。
ロッテルダムオープンでベスト4。
ドバイオープンで当時10位のイジー・ノバクをストレートで敗り、優勝。ツアー通算6勝目。
3月 マイアミマスターズでベスト8。
4月 ミュンヘンオープンで優勝。ツアー通算7勝目。
5月 ローママスターズで決勝に進むも、決勝で当時47位のフェリックス・マンティーリャに57 26 67で敗れ、準優勝。
全仏オープンでは1回戦敗退。
6月 ハレオープンの決勝でニコラス・キーファーを61 63のストレートで倒し、優勝。ツアー通算8勝目。
ウインブルドンでは順調に勝ち上がり、準決勝で世界6位のアンディ・ロディクを76 63 63のストレートで倒しグランドスラム初の決勝へ。決勝ではともに初優勝を狙うマーク・フィリプーシスと対戦。決勝は終始フェデラーペースで76 62 76のストレートでウインブルドン初優勝!ツアー通算9勝目。
世界ランキングは3位に。
7月 グシュタードオープンで決勝に進むが当時10位のイジー・ノバクに75 36 36 61 36のフルセットで敗れ、準優勝。
8月 カナダマスターズでベスト4。
全米オープンでは4回戦で当時13位のダビド・ナルバンディアンに63 67 46 36で敗退。
10月 ウィーンオープンで当時7位カルロス・モヤを倒し優勝。ツアー通算10勝目。
マドリードマスターズでベスト4。
パリマスターズでベスト8。
2年連続の最終戦のマスターズカップへ。
ラウンドロビンでフアン・カルロス・フェレーロに63 61、ダビド・ナルバンディアンに63 60、アンドレ・アガシに67 63 76の3戦全勝で突破し、準決勝へ。
準決勝ではアンディ・ロディクを76 62で倒し、決勝へ。決勝ではアンドレ・アガシに63 60 64のストレートでマスターズカップ初優勝!ツアー通算11勝目。
マスターズカップではこの年のグランドスラム・チャンピオンを全て倒し、全勝優勝。
世界ランキング2位
78勝-17敗(勝率82%)、タイトルはシングルス7、ダブルス2
2004年(23歳)
1月 全豪オープンでは準決勝で当時3位のフアン・カルロス・フェレーロを64 61 64で倒し、決勝へ。決勝では当時86位のマラト・サフィンを76 64 62倒し全豪オープン初優勝!グランドスラム2勝目でツアー通算12勝目。
世界ランキングは1位に。
3月 ドバイオープンで優勝。ツアー通算13勝目。
BNPパリバ・オープン決勝でティム・ヘンマンを63 63で倒し優勝。ツアー通算14勝目。
5月 ハンブルグマスターズ決勝で当時3位のギリェルモ・コリアを46 64 62 63で倒し優勝。ツアー通算15勝目。
全仏オープンでは3回戦で当時30位のグスタボ・クエルテンに46 46 46で敗退。
6月 ハレオープン決勝でマーディ・フィッシュを倒し優勝。ツアー通算16勝目。
ウインブルドンでは2年連続で決勝へ。決勝ではアンディ・ロディクを46 75 76 64で倒し、2連覇達成!グランドスラム3勝目でツアー通算17勝目。
7月 グシュタードオープンで優勝。ツアー通算18勝目。
カナダマスターズの決勝でアンディ・ロディクを75 63で倒し優勝。ツアー通算19勝目。
アテネオリンピックで自信2度目のオリンピック出場。スイス選手団の旗手を務める。結果は2回戦でトマーシュ・ベルディハに64 57 57の逆転負けで2回戦敗退。
全米オープンでは初の決勝に進出。決勝でレイトン・ヒューイットを60 76 60のストレートで倒し、全米オープン優勝!グランドスラム4勝目でツアー通算20勝目。
9月 バンコクオープンで優勝。ツアー通算21勝目。
テニスマスターズカップに出場。
ラウンドロビンでカルロス・モヤに63 36 63、レイトン・ヒューイットに63 64、ガストン・ガウディオに61 76の3戦全勝で突破し、準決勝へ。
準決勝ではマラト・サフィンを63 76で倒し、決勝へ。決勝ではレイトン・ヒューイットに63 62のストレートでマスターズカップ2連覇!ツアー通算22勝目。 2年連続の全勝優勝。
世界ランキング1位
74勝-6敗(勝率92.5%)、タイトルはシングルス11
2005年(24歳)
1月 ドーハオープンで優勝。ツアー通算23勝目。
全豪オープンでは準決勝でマラト・サフィンに75 46 75 67 79のフルセットで敗れて、ベスト4。
2月 ロッテルダムオープンでイワン・リュビチッチを倒し、優勝。続くドバイオープンでもイワン・リュビチッチを61 67 63で倒し優勝。ツアー通算25勝目。
3月 BNPパリバ・オープンの決勝でレイトン・ヒューイットを62 64 64で倒し、大会2連覇。ツアー通算26勝目。
マイアミマスターズの決勝では若手のラファエル・ナダルを26 67 76 63 61の2セットダウンから逆転で優勝。ツアー通算27勝目。
4月 モンテカルロマスターズでは若手のリシャール・ガスケに76 26 67で敗れベスト8。
5月 ハンブルグマスターズの決勝で当時56位のリシャール・ガスケに63 75 76で勝利し優勝。ツアー通算28勝目。
全仏オープンでは準決勝でラファエル・ナダルに36 64 46 36で敗れベスト4。
6月 ハレオープンの決勝でマラト・サフィンに64 67 64で勝利し優勝。大会3連覇。ツアー通算29勝目。
ウインブルドンでは去年と同じく決勝でアンディ・ロディクと対戦。62 76 64のストレートで3連覇!グランドスラム5勝目でツアー通算30勝目。
8月 シンシナティマスターズの決勝でアンディ・ロディクを倒し優勝。ツアー通算31勝目。
全米オープンで決勝に進み、決勝でアンドレ・アガシに63 26 76 61で勝利し、2連覇。グランドスラム6勝目でツアー通算32勝目。
9月 バンコクオープンで若手の当時109位のアンディ・マレーを63 75で倒し優勝。ツアー通算33勝目。
テニスマスターズカップに出場。
ラウンドロビンでギリェルモ・コリアに60 16 62、イワン・リュビチッチに63 26 76、ダビド・ナルバンディアンに63 26 64の3戦全勝で突破し、準決勝へ。
準決勝ではガストン・ガウディオを60 60で圧倒し、決勝へ。決勝ではダビド・ナルバンディアンに76 76 26 16 67の逆転負けで準優勝。
世界ランキング1位
81勝-4敗(勝率95.3%)、タイトルはシングルス11、ダブルス1
年間で4敗しかしない圧倒的な強さで、それもコーチ不在の中の記録でシーズンを終える。
2006年(25歳)
1月 ドーハオープンで2連覇。ツアー通算34勝目。
全豪オープンでは決勝で若手のマルコス・バグダティスに57 75 60 62で勝利し、優勝。グランドスラム7勝目でツアー通算35勝目。
2月 ドバイオープン決勝で当時2位のラファエル・ナダルに62 46 46で敗れ準優勝。
3月 BNPパリバ・オープン決勝でジェームズ・ブレークを75 63 60で倒し優勝。ツアー通算36勝目。
マイアミマスターズでは決勝でイワン・リュビチッチを76 76 76で倒し優勝。ツアー通算37勝目。
4月 モンテカルロマスターズでは決勝でラファエル・ナダルに26 76 36 67で敗れ準優勝。
5月 ローママスターズでも決勝でラファエル・ナダルに76 67 46 62 67のフルセットで敗れ準優勝。
全仏オープンでは初の決勝進出。ここでも前に立ちはだかったのが最大のライバルになるラファエル・ナダル。決勝では61 16 46 67で敗れ、準優勝。ナダルがクレーでの強さを見せつける形に。
6月 ハレオープンの決勝でトマーシュ・ベルディハに60 67 62で勝利し優勝。大会4連覇。ツアー通算38勝目。
ウインブルドンでは決勝まですべてストレート勝ち上がり、決勝でラファエル・ナダルと対戦。60 76 67 63で勝利し4連覇!グランドスラム8勝目でツアー通算39勝目。
8月 カナダマスターズでは決勝でリシャール・ガスケに26 63 62で勝利し優勝。ツアー通算40勝目。
シンシナティマスターズでは若手のアンディ・マレーに57 46で2回戦敗退。
全米オープンでは決勝に進出し決勝でアンディ・ロディクと対戦。62 46 75 61で倒し3連覇。グランドスラム9勝目でツアー通算41勝目。
10月 ジャパンオープンに初参戦。3回戦で当時1078位の鈴木貴男にファイナルセットのタイブレークまで追いつめられるも勝利、決勝でティム・ヘンマンを63 63で倒し優勝。ツアー通算42勝目。
マドリードマスターズの決勝でフェルナンド・ゴンサレスを75 61 60で倒し優勝。ツアー通算43勝目。
バーゼルオープン決勝でもフェルナンド・ゴンサレスと対戦し、63 62 76で勝利し優勝。ツアー通算44勝目。
テニスマスターズカップでは、ラウンドロビンでイワン・リュビチッチに76 64、アンディ・ロディクを46 76 64、ダビド・ナルバンディアンを36 61 61の3戦全勝で突破し、準決勝へ。
準決勝ではラファエル・ナダルを64 75で勝利し、決勝へ。決勝ではジェームズ・ブレークに60 63 64で勝利し優勝。ツアー通算45勝目。
世界ランキング1位
92勝-5敗(勝率94.8%)、タイトルはシングルス12
2007年(26歳)
1月 全豪オープンで決勝まで進み、決勝でフェルナンド・ゴンサレスと対戦。76 64 64で倒し全試合ストレート勝ちで2連覇。グランドスラム10勝目でツアー通算46勝目。
2月 ドバイオープンで優勝。ツアー通算47勝目。
4月 モンテカルロマスターズの決勝でラファエル・ナダルに46 46で敗れ準優勝。
5月 ハンブルグマスターズではラファエル・ナダルに26 62 60で勝利し優勝。ツアー通算48勝目。
全仏オープンでは決勝に進むもラファエル・ナダルに36 64 36 46の逆転負けで2年連続の準優勝。
ウインブルドンでも決勝でラファエル・ナダルと対戦。76 46 76 26 62の激戦を制して、ウインブルドン5連覇!グランドスラム11勝目でツアー通算49勝目。
8月 カナダマスターズの決勝でノバク・ジョコビッチに67 62 67で敗れ準優勝。
シンシナティマスターズでは決勝でジェームズ・ブレークに61 64で優勝。ツアー通算50勝目。
全米オープンでは決勝でノバク・ジョコビッチに76 76 64のストレートで勝利し、4連覇!グランドスラム12勝目でツアー通算51勝目。
10月 マドリードマスターズの決勝でダビド・ナルバンディアンに61 36 36で敗れ準優勝。
バーゼルオープンで優勝。ツアー通算52勝目。
テニスマスターズカップでは、ラウンドロビンでアンディ・ロディクに64 62、ニコライ・ダビデンコを64 63、フェルナンド・ゴンサレスに63 67 57の2勝1敗で突破し、準決勝へ。
準決勝ではラファエル・ナダルを64 61で勝利し、決勝へ。決勝ではダビド・フェレールに62 63 62で勝利し優勝。ツアー通算53勝目。
世界ランキング1位
68勝-9敗(勝率88.3%)、タイトルはシングルス8
2008年(27歳)
1月 全豪オープンの準決勝でノバク・ジョコビッチに57 36 67のストレートで敗れベスト4。
3月 BNPパリバ・オープンではベスト4。 マイアミマスターズではベスト8。
4月 エストリルオープンの決勝でニコライ・ダビデンコと対戦し、76 12の時点で相手が棄権し優勝。ツアー通算54勝目。
モンテカルロマスターズでは決勝でラファエル・ナダルに57 57で敗れ準優勝。
5月 ハンブルグマスターズの決勝でラファエル・ナダルに57 76 36のフルセットで敗れ準優勝。
全仏オープンでは決勝で3年連続となるラファエル・ナダルと対戦。16 36 06のストレートで敗れ、3年連続の準優勝。
6月 ハレオープンで優勝。ツアー通算55勝目。
ウインブルドンは6連覇をかけて決勝へ。決勝ではラファエル・ナダルと対戦し46 46 76 76 79の5時間近い熱戦の末敗れ、準優勝。
8月 北京オリンピックで3大会めのオリンピック出場。2年連続でスイス選手団の旗手を務める。シングルスでは準々決勝でジェームズ・ブレークに46 67で敗退。ダブルスではワウリンカと組み金メダルを獲得!
世界ランキングが237週ぶりにナダルに抜かれ2位に。
全米オープンでは決勝でアンディ・マレーに62 75 62のストレートで勝利し5連覇。グランドスラム13勝目でツアー通算56勝目。
10月 マドリードマスターズでベスト4。 バーゼルオープンで優勝。ツアー通算57勝目。
テニスマスターズカップでは、ラウンドロビンでアンディ・マレーに64 67 57、ラデク・ステパネクを76 64、ジル・シモンに64 46 36の1勝2敗でラウンドロビン敗退。
世界ランキング2位
66勝-15敗(勝率81.5%)、タイトルはシングルス4、ダブルス1
2009年(28歳)
1月 ドーハオープンでベスト4。
全豪オープンで決勝まで進み、ラファエル・ナダルと対戦。57 63 67 63 26のファイナルセットで敗れ準優勝。
3月 BNPパリバ・オープンではベスト4。
マイアミマスターズでベスト4。
4月 ローママスターズでベスト4。
5月 マドリードマスターズの決勝でラファエル・ナダルに64 64で勝利し優勝。ツアー通算58勝目。
全仏オープンで4年連続の決勝進出。4回戦でナダルを倒したロビン・セーデリングと対戦。61 76 64で勝利し全仏オープン初優勝でキャリグランドスラム達成。グランドスラム14勝目でツアー通算59勝目。
ウインブルドンでは決勝でアンディ・ロディクと対戦。57 76 76 36 16-14とウインブルドン史上に残る激戦を制して優勝。グランドスラム15勝目でツアー通算60勝目。
サンプラスの四大大会優勝数歴代最多記録を更新!そして世界ランキング1位に。
8月 シンシナティマスターズの決勝でノバク・ジョコビッチに61 75のストレートで勝利し優勝。ツアー通算61勝目。
全米オープンでは決勝でフアン・マルティン・デル・ポトロに63 67 64 67 26で準優勝。 11月 バーゼルオープン準優勝。
ATPファイナルズでは、ラウンドロビンでフアン・マルティン・デル・ポトロに26 76 36、アンディ・マレーを36 63 61、フェルナンド・ベルダスコに46 75 61の2勝1敗で準決勝へ。 準決勝ではニコライ・ダビデンコに26 64 57で敗退。
世界ランキング1位
61勝-12敗(勝率83.6%)、タイトルはシングルス4
2010年(29歳)
1月 ドーハオープンでベスト4。
全豪オープンで決勝まで進み、アンディ・マレーと対戦。63 64 76のストレートで勝利し優勝。グランドスラム16勝目でツアー通算62勝目。
5月 マドリードマスターズの決勝でラファエル・ナダルに46 67で敗れ準優勝。
全仏オープンでは準々決勝で去年決勝を戦ったロビン・セーデリングに63 36 57 46で敗れベスト8。
世界ランキングは2位に後退。
6月 ハレオープンで準優勝。
ウインブルドンでは準々決勝でトマーシュ・ベルディハに46 63 16 46で敗退しまさかのベスト8。
8月 カナダマスターズの決勝でアンディ・マレーに57 57で敗れ準優勝。
シンシナティマスターズでは決勝でマーディ・フィッシュに67 76 64の逆転で勝利し優勝。ツアー通算63勝目。
全仏オープンでは準決勝でノバク・ジョコビッチに75 16 75 26 57のフルセットで敗れベスト4。
10月 上海マスターズ決勝でアンディ・マレーに36 26で敗れ準優勝。
ストックホルムオープンで優勝。ツアー通算64勝目。
11月 バーゼルオープンで優勝。ツアー通算65勝目。
パリマスターズ準決勝でガエル・モンフィスに67 76 67で敗れベスト4。
ATPファイナルズでは、ラウンドロビンでロビン・セーデリングに76 63、アンディ・マレーを64 62、ダビド・フェレールに61 64の3戦全勝で準決勝へ。
準決勝ではノバク・ジョコビッチに61 64で勝利し決勝へ。決勝ではラファエル・ナダルに63 36 61のファイナルで勝利し優勝!ツアー通算66勝目。
世界ランキング2位
65勝-13敗(勝率83.3%)、タイトルはシングルス5
2011年(30歳)
1月 ドバイオープンで優勝。ツアー通算67勝目。
全豪オープンでは準決勝でノバク・ジョコビッチに67 57 46のストレートで敗れベスト4。
2月 ドバイオープンの決勝でノバク・ジョコビッチに36 36で敗れ準優勝。
3月 BNPパリバ・オープン、マイアミマスターズでベスト4。
世界ランキングは3位に後退。
5月 マドリードマスターズでラファエル・ナダルに敗れベスト4。
全仏オープンで決勝に進むが、決勝でラファエル・ナダルに57 67 75 16で敗れ準優勝。
ウインブルドンでは準々決勝でジョー=ウィルフリード・ツォンガに63 76 46 46 46の逆転で敗れベスト8。
全米オープンでは準決勝でノバク・ジョコビッチに76 64 36 26 57で逆転負けしベスト4。
10月 バーゼルオープンの決勝で錦織圭に61 63で勝利し優勝。ツアー通算68勝目。
11月 パリマスターズの決勝でジョー=ウィルフリード・ツォンガに63 67 63で勝利し優勝。ツアー通算69勝目。
ATPファイナルズでは、ラウンドロビンでマーディ・フィッシュに61 36 63、ラファエル・ナダルを63 60、ジョー=ウィルフリード・ツォンガに62 26 64の3戦全勝で準決勝へ。
準決勝ではダビド・フェレールに75 63で勝利し決勝へ。決勝ではジョー=ウィルフリード・ツォンガに63 67 63のファイナルで勝利し優勝!ツアー通算70勝目。
世界ランキング3位
64勝-12敗(勝率84.2%)、タイトルはシングルス4
2012年(31歳)
1月 ドーハオープンでベスト4。
全豪オープンでは準決勝でラファエル・ナダルに76 26 67 46で敗れベスト4。
2月 ロッテルダムオープンの決勝でフアン・マルティン・デル・ポトロに61 64で勝利し優勝。ツアー通算71勝目。
ドバイオープンでアンディ・マレーに75 64で勝利し優勝。ツアー通算72勝目。
3月 BNPパリバ・オープンの決勝でジョン・イスナーに76 63で勝利し優勝。ツアー通算73勝目。
5月 マドリードマスターズの決勝でトマーシュ・ベルディハに36 75 75で勝利し優勝。ツアー通算74勝目。
世界ランキングは2位に。
ローママスターズではベスト4。
世界ランキングは3位に後退。
全仏オープンでは準決勝でノバク・ジョコビッチに46 57 36のストレートで敗れベスト4。
6月 ハレオープンで準優勝。
ウインブルドンでは決勝まで進み、アンディ・マレーと対戦。46 75 63 64で勝利し優勝。グランドスラム17勝目でツアー通算75勝目。
この勝利で世界ランキングは1位になり男子歴代単独1位在位記録を更新。
8月 ロンドンオリンピックに出場。オリンピックに4大会連続出場。初の決勝まで進むが、アンディ・マレーに26 16 46のストレートで敗れ銀メダル。
シンシナティマスターズでは決勝でノバク・ジョコビッチに60 76で勝利し優勝。ツアー通算76勝目。
全米オープンでは準々決勝でトマーシュ・ベルディハに67 46 63 36で敗れベスト8。
10月 シンシナティマスターズではベスト4。
バーゼルオープンではフアン・マルティン・デル・ポトロに46 76 67のフルセットで敗れ準優勝。
ATPファイナルズでは、ラウンドロビンでフアン・マルティン・デル・ポトロに67 64 36、ダビド・フェレールを64 76、ヤンコ・ティプサレビッチに63 61の2戦1敗で準決勝へ。
準決勝ではアンディ・マレーに76 62で勝利し決勝へ。決勝ではノバク・ジョコビッチに67 57のストレートで敗れ準優勝。
世界ランキング2位
71勝-12敗(勝率85.5%)、タイトルはシングルス6
2013年(32歳)
1月 全豪オープンでは準決勝でアンディ・マレーに46 76 36 76 26のファイナルセットで敗れベスト4。
2月 ドバイオープンでベスト4。
5月 ローママスターズの決勝でラファエル・ナダルに16 36で敗れ準優勝。
全仏オープンでは準々決勝でジョー=ウィルフリード・ツォンガに57 36 36のストレートで敗れベスト8。
6月 ハレオープンで優勝。ツアー通算77勝目。
ウインブルドンでは2回戦でセルジー・スタホフスキーに76 67 57 67でまさかの2回戦敗退。
世界ランキングは5位に。
7月 ハンブルグオープンでベスト4。
全米オープンでは4回戦でトミー・ロブレドに67 36 46のストレートで敗れ4回戦敗退。
10月 バーゼルオープンで準優勝。
パリマスターズでベスト4。
ATPファイナルズでは、ラウンドロビンでフアン・マルティン・デル・ポトロに46 76 75、リシャール・ガスケを64 63、ノバク・ジョコビッチに46 76 26の2戦1敗で準決勝へ。
準決勝ではラファエル・ナダルに57 36のストレートで敗れベスト4。
世界ランキング6位
45勝-17敗(勝率72.6%)、タイトルはシングルス1
過去10年間で最も悪いシーズンとなり限界説が流れる。
2014年(33歳)
コーチにステファン・エドバーグを招集。
1月 ブリスベン国際では準優勝。
全豪オープンでは準決勝でラファエル・ナダルに67 36 36のストレートで敗れベスト4。
2月 ドバイオープンで優勝。ツアー通算78勝目。
3月 BNPパリバ・オープンの決勝でノバク・ジョコビッチに63 36 67の逆転で敗れ準優勝。
マイアミマスターズでは準々決勝で錦織圭に63 57 46で敗れベスト16。
4月 モンテカルロマスターズでは決勝で同郷のスタン・ワウリンカに64 67 26で敗れて準優勝。
世界ランキングは4位に。
全仏オープンでは4回戦でエルネスツ・ガルビスに76 67 26 64 36のファイナルセットで敗れ4回戦敗退。
6月 ハレオープンで優勝。ツアー通算79勝目。
ウインブルドンでは決勝に進出し、決勝でノバク・ジョコビッチと対戦。76 46 67 75 46のファイナルセットで敗れ準優勝。
8月 カナダマスターズでは決勝でジョー=ウィルフリード・ツォンガに57 67のストレートで敗れ準優勝。
シンシナティマスターズでは決勝でダビド・フェレールに63 16 62で勝利し優勝。ツアー通算80勝目。
全米オープンでは準決勝でマリン・チリッチに36 46 46のストレートで敗れベスト4。
10月 上海マスターズ決勝でジル・シモンに76 76で勝利し優勝。ツアー通算81勝目。
世界ランキングは2位に。
バーゼルオープンで優勝。ツアー通算82勝目。
ATPファイナルズでは、ラウンドロビンでアンディ・マレーに60 61、錦織圭を63 62、ミロシュ・ラオニッチに61 76の3戦全勝で準決勝へ。
準決勝ではスタン・ワウリンカに46 75 76で勝利し、ノバク・ジョコビッチとの決勝へ。決勝では試合前に腰のケガのため棄権し準優勝。
デビス杯ではスイスとしては初めて決勝に進み。フランスと対戦。フェデラーは単複で1勝ずつ上げスイスの初優勝に貢献。
世界ランキング2位
73勝-12敗(勝率85.9%)、タイトルはシングルス5
前年の不調を跳ね返す結果に。
2015年(34歳)
1月 ブリスベン国際で優勝。ツアー通算83勝目。
全豪オープンでは3回戦でアンドレアス・セッピに46 67 64 67で敗れて3回戦敗退。
2月 ドバイオープンでノバク・ジョコビッチに63 75で勝利し優勝。ツアー通算84勝目。
3月 BNPパリバ・オープンでは決勝でノバク・ジョコビッチに36 76 26のファイナルセットで敗れ準優勝。
4月 イスタンブールオープンで優勝。ツアー通算85勝目。
5月 ローママスターズでは決勝でノバク・ジョコビッチに46 36のストレートで敗れ準優勝。
全仏オープンでは準々決勝でスタン・ワウリンカに46 36 67のストレートで敗れベスト8。
6月 ハレオープンで優勝。ツアー通算86勝目。
ウインブルドンでは決勝まで進み、決勝でノバク・ジョコビッチと対戦。67 76 46 36で敗れて準優勝。
8月 シンシナティマスターズでは決勝でノバク・ジョコビッチに76 63で勝利し優勝。ツアー通算87勝目。
全米オープンでは決勝でノバク・ジョコビッチと対戦し46 75 46 46で敗れて準優勝。
10月 バーゼルオープンの決勝でラファエル・ナダルに63 57 63で勝利し優勝。ツアー通算88勝目。
ATPファイナルズでは、ラウンドロビンで錦織圭に75 46 64、ノバク・ジョコビッチを75 62、トマーシュ・ベルディハに64 62の3戦全勝で準決勝へ。
準決勝ではスタン・ワウリンカに75 63で勝利し決勝へ。決勝ではノバク・ジョコビッチに36 46のストレートで敗れ準優勝。
世界ランキング3位
63勝-11敗(勝率85.1%)、タイトルはシングルス6
2016年(35歳)
1月 ブリスベン国際で準優勝。
全豪オープンでは準決勝でノバク・ジョコビッチに16 26 63 36で敗れベスト4。
4月 モンテカルロマスターズでベスト8。
6月 シュトゥットガルトオープンでベスト4。
ハレオープンの準決勝でアレキサンダー・ズブレフに67 75 36のファイナルセットで敗れてベスト4。
ウインブルドンでは準決勝でミロシュ・ラオニッチに36 76 64 57 36のファイナルセットで敗れベスト4。
この敗戦のときの試合中に痛めた左膝半月板損傷のため、残りの試合全てを欠場。リオオリンピックも断念することに。
世界ランキング16位
21勝-7敗(勝率75%)、タイトルはシングルス0
2017年(36歳)
1月 全豪オープンではケガのため世界ランキングは17位に。4回戦で錦織圭を67 64 61 46 63のフルセットで倒し決勝へ。決勝ではラファエル・ナダルに64 36 61 36 63のファイナルセットで倒し優勝。グランドスラム18勝目でツアー通算89勝目。
復活を印象づける。
3月 BNPパリバ・オープンでは決勝でスタン・ワウリンカに64 75で勝利し優勝。ツアー通算90勝目。
マイアミマスターズでは決勝でラファエル・ナダルに63 64のストレートで勝利し優勝。ツアー通算91勝目。
6月 ハレオープンで優勝。ツアー通算92勝目。
ウインブルドンでは決勝まで進み、決勝でマリン・チリッチと対戦。63 61 64で勝利し優勝。決勝も合わせて全試合ストレート勝ち。グランドスラム19勝目でツアー通算93勝目。
世界ランキングは3位に。
8月 カナダマスターズでは決勝でアレキサンダー・ズブレフに36 46で敗れて準優勝。
全米オープンでは準々決勝でフアン・マルティン・デル・ポトロに57 63 67 46で敗れてベスト8。
10月 上海マスターズ決勝でラファエル・ナダルに64 63のストレートで勝利し優勝。ツアー通算94勝目。
バーゼルオープンの決勝でフアン・マルティン・デル・ポトロに67 64 63の逆転で勝利し優勝。ツアー通算95勝目。
ATPファイナルズでは、ラウンドロビンでマリン・チリッチに67 64 61、アレキサンダー・ズブレフを76 57 61、ジャック・ソックに64 76の3戦全勝で準決勝へ。
準決勝ではダビド・ゴフィンに62 36 46のファイナルセットで敗れベスト4。
世界ランキング2位
52勝-5敗(勝率91.2%)、タイトルはシングルス7
2018年(37歳)
1月 全豪オープンでは決勝まで進み、決勝でマリン・チリッチと対戦。62 67 63 36 61のファイナルセットで倒し優勝!グランドスラム20勝目でツアー通算96勝目。
2月 ABNアムロ世界テニス・トーナメントの決勝でグリゴール・ディミトロフを62 62のストレートで倒し優勝。ツアー通算97勝目。
世界ランキングは1位に。
3月 BNPパリバ・オープンでは決勝でフアン・マルティン・デル・ポトロに46 76 67で敗れ準優勝。
6月 メルセデスカップで優勝。ツアー通算98勝目。
ゲリー・ウェバー・オープンの決勝でボルナ・コリッチに67 63 26のファイナルセットで敗れ準優勝。
更新予定。
フェデラーの性格を一言で表すなら品行方正。コート内外での立ち振る舞いはまさに世界ナンバー1に相応しく、選手やファンからの評判も高い。
その証拠にツアーの選手から選ばれる「ステファン・エドバーグ・スポーツマンシップ賞」を12度も受賞していてマナーやフェアプレイを高く評価されている。
ATP選手の人気投票では、03年から17年まで15年連続で1位を獲得しておりファンから絶大な人気を得ていてテニス界きってのスター選手。
世界的なスポーツ賞である「ローレウス・スポーツ賞」の男子最優秀選手賞を05年~08年の4年連続で受賞。
去年の2017年の世界で最も有名なアスリート100名にフェデラーは、クリスティアーノ・ロナウド、レブロン・ジェームズ、リオネル・メッシに次ぐ4位に。
慈善活動にも積極的で2003年にロジャー・フェデラー基金を設立し、多くの恵まれない人を支援。2006年にはユニセフ親善大使に任命される。
家族は以前から付き合っていた元テニスプレイヤーのミルカ・バブリネックと結婚し、双子の息子がいる。
フェデラーはこの子供たちをお風呂に入れる際、滑って大けがをしてツアーを欠場したことがある。
史上最強のオールラウンダー。
フェデラー以前からサンプラスを中心にオールラウンドのプレーを目指す流れになっていたが、それをハイレベルで実現されたのが、ロジャーフェデラー。
プロ当初はサーブ&ボレーを中心に戦っていたが、後にベースライン中心に移行。普通の選手なら何かしら弱点があるのだが、フェデラーにいたってはストロークも強く打ち負けることがない。
フェデラーは、サーフィスによる得意不得意も少なく、トーナメントを勝ち上がるごとにギアを上げていける王者の要素も。
サービスは当初スピードがあまりなくさほど評価されていなかったが、同じモーションから様々な球種が打ててコースが良いため、相手は予測するのが難しくエースを量産。
フォアハンドはツアー屈指の破壊力。
バックハンドのスライスは、伸びるボール、止まるボール、滑るボールと様々な球種を打つことが出来る。
片手バックハンドのため唯一高い所の処理が課題だったのだが、近年はライジング気味で返して克服。
リターンも良く普段エースを量産するアンディ・ロディクなどのビックサーバーのサーブを難なく返す。
速いラリーが得意でハードヒッターにも屈しない。
自己マネジメントが高く2005年にはコーチがいない状況ながら4敗(勝率95.3%)という記録を残し、どんな状況、相手でも関係なく対応出来ることを証明した。
相手のエース級のボールを体勢が崩れながらもエースで返す神業なテクニックも併せ持つ。
ケガも少ないのがフェデラーの特徴で、動きに無駄がないプレーで体力が温存できるため長い現役生活の要因になっている。
今ではあまり使っていないが、2015年あたりに相手のセカンドサービスをハーフボレーのライジングで返すSABR(Sneak Attack By Roger)セイバーと言われる戦法で世界を驚かせた。
1998年(17歳) 全豪オープンジュニアで単複ベスト4、ウインブルドンジュニア優勝、全米オープンジュニア準優勝、オレンジボウル優勝、トゥルーズオープンベスト8
1999年(18歳) マルセイユオープンベスト8、ロッテルダムオープンベスト8、全仏オープン1回戦、ウインブルドン1回戦、バーゼルオープンベスト8、ウィーンオープンベスト4
2000年(19歳) 全豪オープン3回戦、マルセイユオープン準優勝、コペンハーゲンオープンベスト4、全仏オープン4回戦、ウインブルドン1回戦、全米オープン3回戦、シドニーオリンピック4位、ウィーンオープンベスト4、バーゼルオープン準優勝
2001年(20歳) 全豪オープン3回戦、ミランオープン優勝、マルセイユオープンベスト4、全仏オープンベスト8、ウインブルドンベスト8、全米オープン4回戦、バーゼルオープン準優勝
2002年(21歳) シドニーオープン優勝、全豪オープン4回戦、ミランオープン準優勝、マイアミマスターズ準優勝、ハンブルグマスターズ優勝、全仏オープン1回戦、ウインブルドン1回戦、全米オープン4回戦、ウィーンオープン優勝、マスターズカップベスト4
2003年(22歳) 全豪オープン4回戦、マルセイユオープン優勝、ドバイオープン優勝、ミュンヘンオープン優勝、ローママスターズ準優勝、全仏オープン1回戦、ハレオープン優勝、ウインブルドン優勝、グシュタードオープン準優勝、全米オープン4回戦、ウィーンオープン優勝、マスターズカップ優勝
2004年(23歳) 全豪オープン優勝、ドバイオープン優勝、BNPパリバ・オープン優勝、ハンブルグマスターズ優勝、全仏オープン3回戦、ハレオープン優勝、ウインブルドン優勝、グシュタードオープン優勝、カナダマスターズ優勝、全米オープン優勝、バンコクオープン優勝、マスターズカップ優勝
2005年(24歳) ドーハオープン優勝、全豪オープンベスト4、ロッテルダムオープン優勝、ドバイオープン優勝、BNPパリバ・オープン優勝、マイアミマスターズ優勝、ハンブルグマスターズ優勝、全仏オープンベスト4、ハレオープン優勝、ウインブルドン優勝、シンシナティマスターズ優勝、全米オープン優勝、バンコクオープン優勝、マスターズカップ準優勝
2006年(25歳) ドーハオープン優勝、全豪オープン優勝、BNPパリバ・オープン優勝、マイアミマスターズ優勝、全仏オープン準優勝、ハレオープン優勝、ウインブルドン優勝、カナダマスターズ優勝、全米オープン優勝、ジャパンオープン優勝、マドリードマスターズ優勝、バーゼルオープン優勝、マスターズカップ優勝
2007年(26歳) 全豪オープン優勝、ドバイオープン優勝、ハンブルグマスターズ優勝、全仏オープン準優勝、ウインブルドン優勝、シンシナティマスターズ優勝、全米オープン優勝、バーゼルオープン優勝、マスターズカップ優勝
2008年(27歳) 全豪オープンベスト4、エストリルオープン優勝、ハレオープン優勝、ウインブルドン準優勝、北京オリンピックダブルス金メダル、全米オープン優勝、バーゼルオープン優勝
2009年(28歳) 全豪オープン準優勝、マドリードマスターズ優勝、全仏オープン優勝、ウインブルドン優勝、シンシナティマスターズ優勝、全米オープン準優勝、バーゼルオープン優勝、ATPファイナルズベスト4
2010年(29歳) 全豪オープン準優勝、シンシナティマスターズ優勝、全仏オープンベスト4、ストックホルムオープン優勝、バーゼルオープン優勝、ATPファイナルズ優勝
2011年(30歳) ドバイオープン優勝、全豪オープンベスト4、全仏オープン準優勝、ウインブルドンベスト8、全米オープンベスト4、バーゼルオープン優勝、パリマスターズ優勝、ATPファイナルズ優勝
2012年(31歳) 全豪オープンベスト4、ロッテルダムオープン優勝、ドバイオープン優勝、BNPパリバ・オープン優勝、マドリードマスターズ優勝、ウインブルドン優勝、ロンドンオリンピック銀メダル、全米オープンベスト8、ATPファイナルズ準優勝
2013年(32歳) 全豪オープンベスト4、全仏オープンベスト8、ハレオープン優勝、ウインブルドン2回戦、全米オープン4回戦、ATPファイナルズベスト4
2014年(33歳) 全豪オープンベスト4、ドバイオープン優勝、全仏オープン4回戦、ハレオープン優勝、ウインブルドン準優勝、シンシナティマスターズ優勝、全米オープンベスト4、上海マスターズ優勝、バーゼルオープン優勝、ATPファイナルズ準優勝
2015年(34歳) ブリスベン国際優勝、全豪オープン3回戦、ドバイオープン優勝、BNPパリバ・オープン優勝、イスタンブールオープン優勝、ハレオープン優勝、ウインブルドン準優勝、シンシナティマスターズ優勝、全米オープン準優勝、バーゼルオープン優勝、ATPファイナルズ準優勝
2016年(35歳) 全豪オープンベスト4
2017年(36歳) 全豪オープン優勝、BNPパリバ・オープン優勝、マイアミマスターズ優勝、ハレオープン優勝、ウインブルドン優勝、全米オープンベスト8、上海マスターズ優勝、バーゼルオープン優勝、ATPファイナルズベスト4
2018年(37歳) 全豪オープン優勝、ABNアムロ世界テニス・トーナメント優勝、メルセデスカップ優勝
グランドスラムでのフェデラーの単独記録。
男子最多優勝 「20回」
男子最多年間3冠 「3回」 (2004, 2006–07)
男子最多年間2冠 「6回」 (2004–07, 2009, 2017)
男子最多決勝進出数 「30回」
男子最多準決勝進出数 「43回」
男子最多準々決勝進出数 「52回」
男子最多連続決勝進出 「10連続」
男子最多連続準決勝進出数 「23連続」
男子最多連続準々決勝進出数 「36連続」
大会連続最多出場記録 「65連続」
大会通算最多出場記録 「72」
最多勝利記録「332」
ハードコート最多勝利記録「176勝」
全ての4大大会決勝進出 「3回」(2006–07, 2009)
数々の記録を作ってきた「ロジャーフェデラー」だが、まだロジャーフェデラーの伝説は終わらない。。