日本テニス界に颯爽と現れた伊達公子。
ライジングを武器に当時、アジア人選手として初のトップ10に入りグランドスラムでも全仏オープンとウインブルドンでベスト4に進出。
最高の世界ランキングは4位まで上り詰めた。
そんな伊達公子であったが、26歳でランキング8位にして引退を表明した。
そして2008年、37歳に世間を驚かせた2度目の現役復帰。
復帰してからも当時のライジングは健在で、全日本テニス選手権で優勝、韓国オープンで自身8度目となるWTAツアー優勝。
39歳7ヶ月23日でのシングルス優勝は歴代2位の最年長記録。
2010年の東レ パン・パシフィック・オープンでは、1回戦でトップ10で前年度優勝者のマリア・シャラポワをフルセットで破る快挙!
40歳を超えてトップ10の選手を破ったのは、WTA史上初。
グランドスラムでも全豪オープンとウインブルドンで3回戦進出。2010年には46位に。
終盤はケガに苦しみ、2017年8月28日、37歳にして2度目の引退をブログで表明した。
そして2017年9月7日に有明コロシアムで行われた2度目の引退会見の内容。
Q, 引退に至った経緯は?
昨年にヒザの手術をして、今年の5月に岐阜で復帰。その後も万全の状態とはいかない現実がありましたが、自分の気持ちは衰えませんでした。
GSの予選にもう一度出場したいという強い思いを抱いていましたが、USオープンを控える3週間のアメリカ遠征から帰ってきて、ヒザに加えて肩の痛みの問題も出てきました。
ドクターに肩を診てもらい、少しずつ決断しなければいけない時期なのかと帰国後の8月の頭に感じました。
自分自身の中で気持ちが固まったのは8月上旬くらいだと思います。
Q, 自分の競技人生を振り返って
こんな幸せなアスリートはそういないんじゃないかと思います。
2度も世界トップレベルで戦うチャンスを得ることができました。1度目のチャンスはランキングにこだわり、最高が4位でGSの準決勝を4つの内3つ経験することができました。
2度目の再チャレンジでは、30代後半から40代前半でトップ50をクリアできるとは自分でも想像できなかったことです。
若い選手がトップ50を目指しても達成できるのは一握り。それがこの年齢で出来たことはいい経験でした。それにツアーも楽しくて、若い選手とも仲良く一緒にツアーを周ることができました。
Q, 自身のキャリアに満足してますか?
再チャレンジした9年半で、あの時もっと方法があったのではないかという思いはゼロではありませんが、その時々の自分ができる最大限をやってきたという思いはあります。
私はできるだけ100%を求めてやってきたので、後悔はありません。
Q, 2つの時代で伊達選手のテニスが通用した要因は?
ライジングショットが打てるので、ボール自体にパワーがなくても展開のはやいテニスができたというのが一番大きかったと思います。
ただ、それには足がかなり重要だったんだなと今すごく感じています。
自分の足が動かないとボールが生きません。それができなくなると、今のパワーテニスに対抗できるものがなくなってきているのかなと感じています。
Q, 伊達選手の勇姿に多くの人が勇気をもらいました
女性が社会の中で生きていくのはまだまだ大変な部分もあると思います。でも、年齢に関係なく自分がやりたいことを思い続けること、やり始めること、やり続けること。
少しの勇気を持てば、自分の世界は切り拓けられるということを示すことはできたのではないかと思います。
最後に伊達選手は、
競技者としてテニスコートを去るのは、本当に寂しいし残念でなりません。
ただこれからも競技者ではないにしてもテニスと向き合いながら、どういう形になるかは時間をかけて考えていきたいと思いますが、テニスに対する思いはずっと持ち続けて、常に自分の隣にはテニスがある人生にしていきたいと思っています。
ありがとうございました。