言わずと知れた日本野球界を代表する人気選手だったミスター巨人、長嶋茂雄。
予測不能なバッティングと技術で巨人の4番打者として活躍し、球界を代表する人気選手へ。王貞治とともに「ON砲」と呼ばれ、巨人のV9に大きく貢献。
国民栄誉賞を受賞したミスター巨人の半生とは。
出身地 千葉県印旛郡臼井町(現:佐倉市)
生年月日 1936年2月20日
年齢 82歳
身長 体重 178 cm 76 kg
選手情報 投球・打席 右投右打
ポジション 三塁手
プロ入り 1958年
初出場 1958年4月5日
最終出場 1974年10月14日
経歴 選手歴 千葉県立佐倉第一高等学校 立教大学 読売ジャイアンツ (1958 – 1974)
小学4年時から野球をしていた兄の影響で野球を始める。
高校は、千葉県立佐倉第一高等学校(現・千葉県立佐倉高等学校)に入学。
2年生から4番打者に。 高校最後の大会で勝ち進み南関東大会の千葉代表に。
1回戦で公式戦では初となる100mを超える本塁打を放ち、新聞などで話題に。
高校卒業時にも読売ジャイアンツからのプロ入りオファーがあったが、進学を希望していた父親が断りを入れて立教大学に入学。
大学入学後、父親を亡くす。
大学では、同期の杉浦忠投手、本屋敷錦吾内野手とともに「立教三羽烏」を呼ばれて他校から恐れられた。
東京六大学リーグ戦では通算96試合に出場し、打率.286(304打数87安打)、8本塁打、39打点、22盗塁を記録。
そして読売ジャイアンツに入団。
打率 本塁打 打点 安打 盗塁
22歳 .305 29本 92打点 153安打 37盗塁
23歳 .334 27本 82打点 150安打 21盗塁 OPS1.038
24歳 .334 16本 64打点 151安打 31盗塁 OPS.964
25歳 .353 28本 86打点 158安打 14盗塁 OPS1.108
26歳 .288 25本 80打点 151安打 18盗塁 OPS.876
27歳 .341 37本 112打点 163安打 16盗塁 OPS1.094
28歳 .314 31本 90打点 144安打 13盗塁 OPS1.017
29歳 .300 17本 80打点 151安打 2盗塁 OPS.830
30歳 .344 26本 105打点 163安打 14盗塁 OPS.999
31歳 .283 19本 77打点 134安打 2盗塁 OPS.802
32歳 .318 39本 125打点 157安打 8盗塁 OPS1.011
33歳 .311 32本 115打点 156安打 1盗塁 OPS.915
34歳 .269 22本 105打点 128安打 1盗塁 OPS.782
35歳 .320 34本 86打点 155安打 4盗塁 OPS.976
36歳 .266 27本 92打点 119安打 3盗塁 OPS.836
37歳 .269 20本 76打点 130安打 3盗塁 OPS.740
38歳 .244 15本 55打点 108安打 2盗塁 OPS.675
赤字はリーグ最高
生涯打率 3割5厘、2186試合、8094打数、2471安打、444本塁打、1522打点、1270得点 969四球、729三振、190盗塁、43死球、264失策
日本のプロ野球において400本塁打・2000本安打の同時達成は大卒では史上初 2000本安打を達成。
新人王(1958)
MVP 5回(1961、1963、1966、1968、1971)
首位打者 6回(1959~1961、1963、1966、1971)
本塁打王 2回(1958、1961)
打点王 5回(1958、1963、1968~1970)
ベストナイン 17回(1958~1974)
ゴールデングラブ賞 2回(1972、1973)
開幕試合5年連続ホームラン(1970~1974)
開幕戦ホームラン 通算10本
ONアベックホームラン 通算106回、連発29回
安打最多打者 6年連続合計10回(1958~1963、1966、1968、1969、1971)
1シーズン150安打以上 6年連続合計11回(1958~1963、1965、1966、1968、1969、1971)
4試合連続三塁打(1960/5/8~14)
2年連続30敬遠(1960、1961)
6試合連続敬遠 2回(1958/9/7~15、1961/8/16~22)
日本シリーズ、オールスター戦と3大舞台すべて通算3割以上 セ・リーグ記録 3年連続首位打者(1959~1961)
入団から引退まで17年連続100安打以上 猛打賞(1試合3安打以上)186回
二塁打最多打者 3回(1958、1961、1962)
新人で全試合に出場し打率2位(1958/0.305)
新人で二冠王(1958/ホームラン29、打点92)
入団以来9年連続打率ベストテン入り(1958~1966)
入団以来4年連続3割バッター(1958~1961)
新人で日本シリーズ2ホームラン(1958)
1シーズン30ホームラン以上 5回(1963、1964、1968、1969、1971)
1試合3ホームラン 2回(1958/6/22,1972/5/21)
サヨナラホームラン 通算7本(歴代5位)
ランニングホームラン 通算3本
打率ベストテン入り 9年連続合計13回(1958~1966、1968~1971)
3割マーク 4年連続を2回合計11回(1958~1961、1963~1966、1968、1969、1971/歴代5位)
三塁打最多打者 2回(1960.1963)
長打率(塁打数÷打数)最高打者、5回(1958~1961、1963)
通算205敬遠(歴代3位) 併殺打最多打者 5回 通算併殺打257個(歴代4位)
日本シリーズ12回出場、68試合/0.343(1958、1959、1961、1963、1965~1972)
3打席連続ホームラン(1970)
シリーズMVP 4回(1963、1965、1969、1970)
シリーズ各賞受賞 4回(1966、1969、1970、1972)
[日本シリーズ記録] 通算91安打 184塁打 66打点
打率4割以上3年連続合計4回(1966、1968~1970)
オールスター16回出場(選出は17回)
43試合/0.313(1958~1963、1965~1974)
打席数150以上で最高打率(3割1分3厘)
1998年には野球殿堂入り。
「計算できないバッター」と各選手から言われ、 野村は長嶋を「来た球を打てる天才」と称している。
「巨人軍は永久に不滅です」というスピーチとともに選手を引退。
川上哲治監督から後任で、巨人の第10第監督に就任。
前任の川上監督のアドバイスを受け入れず、コーチを一新したり自分のやりたいようにやった結果、1年目に巨人軍史上初の最下位という結果を出してしまう。
しかし、2、3年目には優勝!
川上哲治監督との和解もあり2度目の巨人監督就任。
監督生活のなかで、「リーグ優勝5回、日本一2回」を成し遂げる。
あの松井秀喜を育てたのはあまりにも有名で、 「4番1000日構想」
そこから素振りの練習を繰り返し、「王さんのように、1シーズンでホームランを55本打てるような、バッターを目指せ」と、背番号55を松井に与える。
その期待に答え松井は日本を代表するバッターに。
通算監督成績 1982試合 1034勝889敗59分 勝率.538
Aクラス12回、Bクラス3回
日本一2回、リーグ優勝5回、最下位1回
1964年に対談企画で一緒だった出演者の西村亜希子に一目ぼれし、1965年1月26日に結婚。
後に2男2女をもうける。
長男・長嶋一茂はプロ野球選手からタレント、次女・長島三奈はスポーツキャスター、次男・長島正興は自動車レーサーから環境活動家。
2001年より株式会社読売巨人軍専務取締役、巨人軍終身名誉監督。
亜希子夫人は2007年9月18日に心不全で他界。
2013年、教え子の松井秀喜ともに東京ドームで国民栄誉賞を受賞した。 時折元気な時は東京ドームに顔を見せてファンを喜ばせていた。
2004年に脳梗塞(こうそく)で倒れてから14年。 最近のニュースで黄疸(おうだん)などの症状が出たことにより、緊急入院したとの報道があり心配されたが、
ミスターから、読売巨人軍を通じて
「大変ご心配をお掛けしました。おかげさまで回復しています。いまは静養に努めながら、昼は高校野球、夜は巨人戦をテレビ観戦しています」
とコメント。
ミスターは、14年から毎年参加している11月10日に開催予定の少年野球教室に参加の意向を示している。